リテール業界に10年従事し、その後15年にわたり多くの企業においてEコマース参入・成長に関する戦略立案と施策実行を支援してきた筆者(株式会社 久 ブランドEC成長支援室 室長 立川哲夫)が、約20年の高成長期を経てEC業界およびECサイトを運営する企業が、初めて経験する成熟期に入った言えるこのタイミングで、ここ5年を振り返りつつ、2030年を見据えたEコマースの未来予測とEC経営の変革ポイントを解説していきます。
AI時代「非効率な情緒的EC」シフトへ
2025年、世界の生成AI総利用者数は約9億人を超え、利用率も約16%に達したという調査データも共有され、今や「6人に1人がAIを利用する時代」に突入しています。ECビジネスやデジタルマーケティングに関わる企業においても、MicrosoftやGoogleが提供する無償版、さらには楽天やAmazonなどの巨大プラットフォームが実装しているAIを含め、誰もが利用できる環境が整い、一気に「AI民主化」が進んでいます。これほど短期間で世界規模に普及したテクノロジーは、前例のない状況と言えます。
日本国内に目を向けても、AIの浸透スピードは異例のレベルです。スマートフォンが2010年代から約10年をかけて全人口の9割以上に普及したのに対し、AIの浸透スピードはそれを遥かに超えています。総務省の調査によれば、AIの2024年における個人利用率は約26%と前年の3倍超のペースとなっており、2026年には企業におけるAI利用率は70%を超えるという予想も出ています。
さらに、2026年は「AIエージェントの台頭」により、ECの購買スタイルや業務の在り方に大きな影響を与えることが確実視されています。
このように、数年前には多くの人が予想しきれていなかった「AI民主化時代」が一気に到来し、消費者とEC事業者が同時に「最強のツール」を手にした今、何が「選ばれ続けるEC」を分けるのか。AIの民主化によって浮かび上がってきたECの未来像を予測しながら、ブランドEC戦略のシフトポイントを解説していきます。
■EC未来予測キーワード:「非効率な情緒的EC」へのシフト
AI民主化時代のEC未来予測キーワードとして、「非効率な情緒的EC」へのシフトを提示します。また、AIの取り込みによって「手間」と「対話」を「すべての個客」に届けるという、逆転の戦略で先手を打つ視点も必要となります。
EC市場の成長段階において差別化要素であった「豊富な品揃え」「翌日配送」「最安値」「多様な決済手段による迅速な決済」「返品・返金保証」などは、ここ数年で「競争優位の差別化要素」ではなく「普通の便利な要素」になりつつあります。特に楽天市場やAmazonといった巨大ECプラットフォームの進化や、大手企業の利便性向上への投資によって、機能的な利便性はコモディティ化(一般化)したと言えます。

さらに、冒頭でも触れたここ1〜2年の生成AIの爆発的な普及が、この傾向に拍車をかけています。例えば、商品説明文・広告画像の作成、チャットボットによる個別のお客様対応などが、誰もが利用可能なAIによって自動化・最適化されればされるほど、どのECサイトもサービスや顧客接点は画一化され、自社が運営するECサイトの「選ばれる理由」が薄れていくことが予想されます。
商品自体の差別化要素はあるにせよ、経営効率や業務効率を突き詰めた先にあるのは、価格競争やポイント付与などの経済的メリットを中心とした消耗戦です。
このように、AIの民主化で起こる可能性が高い「同質化=利益の減少」という方向から距離を置き、自社が保有するブランド価値を高めながら持続的に顧客を増やすための戦略のひとつが、「非効率な情緒的EC」へのシフトであると考えています。
【AI技術の取り込みにより、選ばれる理由がシフトするイメージ】

■「あえて行う非効率」が心を動かす
スマホを中心としたデジタル接点に多くの時間を奪われる中で、情緒的体験(感動体験)を生み出す対応は、実は「非効率」の中にあると言えます。例えば、デジタル化が進む中で、手書きの手紙をもらうと心が動く方も多いはずです。それは、手紙に「自分のために割いてくれた時間と手間」を感じるからです。ECは本来、買い物行動や商取引から無駄を省き、時間と距離を短縮する「消費の効率化」のための手段として発展してきました。しかし、AI民主化時代に選ばれる理由となる、人の心を動かす「情緒的体験(感動体験)」は、ECの利便性の対極にある「あえて行う非効率な対応」の中に潜んでいると言えます。
情緒的な購入体験を生む例として、
【過剰と思われる演出】
商品保護の観点からは不要なはずの、美しい柄の梱包用紙やリボンによるラッピング。
【手間のかかる顧客対応】
単に購入ボタンを押させるためではなく、購入前の不安や悩みを共有するための電話対応。
【ストーリーの伝達】
機能を伝えるだけなら数行で済むところを、開発者の思いや産地の様子まで伝える長文の説明や動画コンテンツ。
経済合理性だけを見れば、これらはすべて「無駄(コスト)」になる可能性があります。しかし、この「一見すると無駄・非効率なこと」が、受け取り手である顧客に対し、「大切にされている」という感情を抱く体験として機能します。消費者は、機能には「対価」を払いますが、情緒には「信頼」や「愛着」で応えようとする側面があります。これが、AI民主化が加速する時代においてLTV(顧客生涯価値)を高める有効な視点と言えます。
■AIをEC販売に取り込む視点:「効率化」から「おもてなしの最大化」へ
これからのEC経営において持つべき視点は、非効率を重視するのでテクノロジーを避けアナログ対応を重視することではありません。むしろ「非効率な情緒的体験」を大規模に実現するために、最先端のAIとデジタル技術を徹底的に活用していくということです。
これまで多くの企業は、AIを「コスト削減」や「業務効率化」を目的に導入してきました。しかし、これからのEC運営では、AIを効率化の手段としてではなく、「非効率で情緒的なおもてなしを、大規模に一人ひとりへ届けるため」の手段として取り込む視点が不可欠です。例えば、実店舗や通販の現場で活躍する熟練スタッフが、一人のお客様に行うようなきめ細やかな気配りや提案を、そのスタッフだけで24時間、何万人もの顧客に行うことは不可能です。しかし、進化を続けるAIの力を活用すれば、それに近い対応が一定のレベルで可能になると予測できます。
■AIが生み出す、拡張性の高い「非効率な情緒的EC運営」の未来像
具体的に、AIの取り込みによってどのように「非効率な個別対応」を最大化していくか、3つの例から未来像を予測してみます。

1. 「接客対応」の最大化:AIによる「人間味」の再現
今までのチャットボットは「効率的なQ&A処理」が主な役割でしたが、次世代のAIエージェントは「無駄話」の許容範囲を拡張させます。顧客の購入履歴だけでなく、趣味嗜好ややり取りの文脈を理解した上で、例えば「その商品は素敵ですが、お客様がお持ちの〇〇とは少し色が合わないかもしれません」といった、あえて売上を遠ざけるような「親身なアドバイス」を行うことが可能になります。これは一見非効率ですが、長期的には「この店は信頼できる」という関係構築に貢献します。何百件もの同時接続があっても、一人ひとりに対して「あなた専属のコンシェルジュ」として応対できる可能性が高まります。
2. 「物流対応」の最大化:開封体験(Unboxing)のパーソナライズ
物流倉庫業務(フルフィルメント)は、これまで最も効率化が求められる現場でしたが、ここにも「非効率な情緒的対応」を取り込みます。例えば、AIが顧客のSNS投稿や過去の購買行動を分析し、その人のためだけのメッセージカード原稿を生成し、それをロボットアームが「手書き風フォント」で執筆して同梱する。あるいは、顧客の好みに合わせた「おまけ(サンプル)」をAIが選定し、サプライズとして同梱するなどが考えられます。届いた箱を開けた瞬間、それは「画一的な配送物」から「自分への贈り物」へと変化します。この感動体験を、AIとロボティクス技術が支える可能性が高まります。
3. 「物語伝達」の最大化:動画によるシズル感の伝達
静止画とテキストだけのページ訴求は効率的ですが、情緒は伝わりにくい面があります。今後は商品ページそのものの「動画メディア化」が進み、AIが生成・編集したショート動画が、商品のシズル感や素材感、使用シーンを感情に訴求できるようになると予測できます。
さらに、顧客がサイトを訪れる時間帯や天候に合わせて内容を動的に変化させる(例:雨の日には雨の日の楽しみ方を提案する)ことも可能です。「手間のかかったリッチなコンテンツ」をAIが自動最適化し続けることで、飽きさせない売り場作りが実現する可能性が高まります。
ここまで、AI民主化時代に勝ち残るために必要な「非効率な情緒的EC」へのシフト戦略と、進化するAI技術の活用ポイントを解説してきました。
想定を超えるスピードで進化するAIと膨大なデータの保有により、ブランドを保有するEC事業者が取り組むべきは、ブランド公式EC(自社EC)を中心に「非効率な情緒的ECを、効率的かつ大規模に実現する」という視点を持つことです。
同時に「ECサイト=ブランディングの中心」と定義し、継続的な成長を実現するために、顧客接点や購入データを統合・蓄積し、当社が提言する「ブランドスコア」により顧客からの支持を可視化していくことも必要となります。
AIの取込みにより、ブランド公式ECを中心にした大規模かつ拡張性のある「感動体験作り=ファンの拡大」を実現するための、EC事業の再定義に本コラムの視点を参考にしてください。
■筆者プロフィール
株式会社 久(きゅう)
ブランドEC成長支援室 室長 兼 EC経営コンサルタント
立川 哲夫(たつかわ てつお)
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ECマーケティング×企業経営に精通したスペシャリスト
リテール業界に10年従事後、15年以上にわたるECビジネス推進およびECマーケティング支援経験を持つコンサルタント。多様な業界・企業規模における経営課題を整理し、ビジネスモデルの構築、戦略立案、実行支援に携わる。特に、EC・O2O・デジタルマーケティング領域での専門性が高く、EC事業を起点にして企業のビジネス拡大を実現。
大手EC総合支援企業において、10年以上にわたり経営幹部として新規事業開発や事業拡大に従事し、企業のブランディングやマーケティング統括を担当。執行役員として東証グロース市場への上場も経験。その後、外資系コンサルティングファームにてECビジネスの変革支援にも関わり、企業変革期における業務推進や社内体制整備、人材育成にも関与し、総合的な経営支援スキルを磨く。5冊のECマーケティング関連書籍の執筆・編集に関わり、EC事業戦略・売上アップの法則を凝縮し、知見の普及にも貢献。 その他、日経主催の講演会・ECセミナー講師、日経クロストレンド・月刊ネット販売・日本ネット経済新聞などへの寄稿実績も多数。